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訳者解説

A5判:148×210mm 本文書体:リュウミンR-KL 13Q 行間8H 26W×22L×2C
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 本書は、 Kevin B. Anderson, Marx at the Margins : On Nationalism, Ethnicity, and Non-Western Societies, The
の翻訳である。著者ケヴィン・B・アンダーソンは、現在、カリフォルニア大
University of Chicago Press, 2010
学サンタバーバラ校で教鞭をとっており、専門は社会学、政治学、フェミニズム研究などである。本書が初めての
邦訳書でもあるため、日本ではほぼなじみがないと思われるが、モイシュ・ポストンと並んで、近年発展が著しい
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アメリカのマルクス研究を代表する一人である。アンダーソンは、マルクスやヘーゲルを中心に、マルクス主義ヒ
ューマニズム、フランクフルト学派、フーコー研究、オリエンタリズム論争といった様々な社会理論に関心をもっ
ており、ポスト構造主義やポストコロニアル研究についても多数の論文がある。本書は、『マルクス=エンゲルス
全集』(MEGA)の編集という国際的なプロジェクトにも携わっているアンダーソンが、非西洋・前資本主義社
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会やジェンダーに関するマルクスの抜粋ノートを利用しつつ、マルクス解釈の新たな可能性を打ち出した画期的著
作である。
 本書の性格を理解する上で、アンダーソンによる西欧マルクス主義研究は、マルクス主義のアメリカ的コンテク
ストと密接な関係があり、注目に値する。そのコンテクストとは、エーリッヒ・フロムやヘルベルト・マルクーゼ
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といったフランクフルト学派の亡命知識人と親密な交流をもちながらも、彼らとは出自を異にするトロツキストの
潮流である。本書でもたびたび言及される、カリブ人のマルクス主義哲学者で文化批評家のC・L・R・ジェーム

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ズとロシア系アメリカ人のマルクス主義哲学者で経済学者のラーヤ・ドゥナエフスカヤは、第二次世界大戦中にア

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周縁のマルクス訳者解説  [出力]2015年2月2日 午後2時41分
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メリカ共産党内の左派として活動していた。彼らは、レーニンやヘーゲルの弁証法概念の批判的読解を通じて、ス
ターリン体制批判として国家資本主義論を展開し、レーニンのエリート主義的な前衛党を批判した。なかでも特徴
的なのは、本書第三章で詳述されているように、マルクスの「南北戦争」関連著作に初めて焦点をあて、人種差別
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問題を軽視する「階級還元主義」を批判しつつ、「アフリカ系アメリカ人は、アメリカ資本主義に対して、潜在的
には革命的な独立の反対勢力である」という「人種と階級の新しい弁証法」を提示した点である (浜野喬士訳「弁
証法の再発見と持続」『情況 第八号』二〇〇五年。なお、この唯一の邦訳論文は以下のウェブサイトで読むことができる
 
)。
http://www.kevin-anderson.com/rediscovery-persistence-dialectic-japanese/
 とりわけ、「マルクス主義ヒューマニズム」を掲げたドゥナエフスカヤは、理論および研究方法の点でアンダー
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ソンに多大な影響を及ぼしているようである。アンダーソンが初期の単著『レーニン、ヘーゲルそして西欧マルク
ス主義』( Lenin, Hegel, and Western Marxism: A Critical Study, Urbana: University of Illinois Press, 1995.
)で詳細に検
討しているように、ドゥナエフスカヤは、レーニンが初期の『唯物論と経験批判論』で提示した粗野な反映論から、
ヘーゲルの『大論理学』研究を通じて、主体的かつ弁証法的な革命理論へと転換したと主張した。その際、根拠と
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な っ た の は 存 命 中 に 刊 行 さ れ た レ ー ニ ン の 著 作 で は な く、 レ ー ニ ン が 作 成 し た「 ヘ ー ゲ ル・ ノ ー ト 」( い わ ゆ る
)であった。また、ドゥナエフスカヤが『マルクス主義と自由 (邦題:疎外と革命)
『哲学ノート』 』(現代思潮社、一
九六四年)でマルクスにおける「理論と実践の統一」として強調したのは、『資本論』といった主要な経済学著作
とジャーナル記事やインターナショナルでの活動が相互不可分な関係にあるという点である。実際に、アンダーソ
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ンは、こうしたドゥナエフスカヤの視座を受け継ぎ、フランス語版『資本論』の研究、そして抜粋ノート研究を自
らのマルクス研究の出発点としたと回顧している ( ’Author’s Reply to Review of “Marx at the margins: On National-
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)。このように、アン
ism, Ethnicity and Non-Western Societies” by Kevin B. Anderson’, Global Discourse [Online], 2011.
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ダーソンは、マルクス主義ヒューマニズムや弁証法といった理論的内容のみならず、現代のマルクス研究上欠かす
ことのできない「周縁的」テクストへの目配りをドゥナエフスカヤから学んだのである。浩瀚な抜粋ノートをはじ
め圧倒的な情報量を誇るマルクスの著作をアンダーソンが体系化できたゆえんである。

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 本書はタイトルどおり、「マルクスの生きた時代に大部分が資本主義の周縁部にあった社会に関するマルクスの
諸著作」(二四ページ)を扱っている。近年のポストコロニアル研究では、マルクスは資本主義の中心地であるヨ
ーロッパ社会のみを考察した西洋中心主義者であると同時に、労働者階級だけを変革主体とみなす階級還元主義者
であると非難されてきた。しかしながら、著作化されていない豊富なテクストを概観すれば一目瞭然なように、マ
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ルクスが当時のグローバル資本主義にとっての三つの「周縁」を考察していることをアンダーソンは指摘する。す
なわち、①周縁的内部 (アイルランド・アメリカ合衆国)②部分的編入 (インド・アルジェリア・インドネシア)③外
部 (ロシア・中国・ポーランド)である。しかもこの三つの周縁地域の考察は、「資本主義や植民地主義に対する非
西洋社会の関係」についての、さらには「同時代の民主主義運動や社会主義運動に対する民族解放運動の関係につ
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いて」の、ジャーナリスティックな実践やインターナショナルでの活動と密接不可分であった。アンダーソンによ
れば、非資本主義社会における被抑圧民族やエスニック集団 ─ ポーランド、アイルランド、イギリスにおけるア
イルランド労働者およびアメリカ合衆国における黒人 ─ に焦点を当てることで、マルクスは、それらと資本主義
社会における労働者階級との特殊な相互作用を理論化したのである。
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 もっとも、アンダーソンが強調するように、『共産党宣言』や一八五〇年代前半の『ニューヨーク・トリビュー
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ン』記事に見られることだが、マルクスにおいて西洋中心主義や階級還元論が存在しなかったわけではない。なぜ

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なら、それらの初期の著作においては、アジアなどの前資本主義社会の暴力的な近代化が、社会変革の要素を形成

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するかぎりであるとはいえ、肯定的な含意をもって把握されていたからである。しかし、こうした初期の「単線的
モデル」は、それ以降漸進的に変化していく。五〇年代後半の『経済学批判要綱』執筆といった経済学批判をつう
じて、
「資本に対する新しい抵抗の場」としての「共同体」に焦点が当てられ、六〇年代にはより弁証法的な「複
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線的モデル」へと転換していったのである。さらに、マルクスの近代批判は、最晩年の「一八七九 八二年抜粋ノ


ート」に見られるように、いわゆる「資本の文明化作用」を事実上撤回するまでにいたった。その意味で、マルク
スの資本主義批判は、
「ナショナリズム、人種およびエスニシティのもろもろの特殊性を十分包括するとともに、
ヨーロッパからアジアに至る、またアメリカ大陸からアフリカに至る人類の社会的歴史的発展の多様性を十分包括
することのできる資本概念および階級概念を含んだ社会批判」(三一 三二ページ)として依然として有効なのであ
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る。
 確かに、
「差異」を重視する現代思想が毛嫌いするように、「全てを支配する単一の統一体、すなわち資本の批判
がマルクスの知的企て全体の中心をなしていた」(三五七ページ)
。しかし、この一つの社会システムとしての資本
主義という「総体性」は、ドゥナエフスカヤの弁証法理解によれば、決して「抽象的普遍ではなく、普遍性と特殊
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性とが一つの弁証法的総体性の内部で相互作用しあう豊かで具体的な社会的な見方が組み込まれた概念」である。
むしろ、
「マルクスの理論的視座の強みは、これらの特殊的で具体的な問題を資本批判から切り離すことを拒絶す
るところにある」のであって、
「エスニシティ、人種ないしナショナリティを階級に解消させるのではなく、それ
らにより広範な文脈を与えるのである」(三五九ページ)
。そして、この複線的モデルは同時に、今日の反グローバ
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リゼーション運動における土着の共同体運動 (メキシコやボリビアなど)を理論的に位置づけるさいの一助となる
とアンダーソンは主張する。
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 こうした複線的モデルの歴史・社会理論は、マルクスのテクスト解釈に裏打ちされており、MEGA編集者とし
て未刊の抜粋ノート研究も射程に入れている点で、二一世紀のマルクス研究の新たな可能性を提示しているといえ
よう。
『宣言』や『資本論』といった主要著作や『要綱』など特定の著作のための準備草稿のみならず、未刊行の

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抜粋・メモ書き・欄外書き込みなどの「研究サブ資料」にアンダーソンが着目するのは、マルクス自身がテクスト
の作成準備のために幾度となく改稿を重ねているため、抜粋や下書きからマルクスの思考過程をたどることができ
るからである。たとえば、
『経済学・哲学手稿』、『要綱』、『資本論』第二・三巻などの主要著作もマルクスの死後
に刊行された草稿であるが、アンダーソンは、新MEGA第Ⅳ部の抜粋ノート研究を重視する立場から、主要著作
をめぐる従来の政治的かつイデオロギー的解釈をよりいっそう客観化することを試みている。
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 まず、アンダーソンが重視するのは、アメリカのマルクス研究者としての特性を活かした、英語版『マルクス=
エンゲルス著作集』(MECW)の重要性、すなわちマルクス自身が執筆した英語著作への着目である。アンダー
ソンは、
『トリビューン』記事をほとんど考察してこなかった大陸ヨーロッパを中心とするマルクス研究を批判し、
「マルクスはドイツ (一八一三 四三、一八四八 四九)以上にイングランド (一八四九 八三)で人生の大半を過ご
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した」という基本的事実に注意を促している (三九 四〇ページ)
。事実、マルクスとエンゲルスの生涯著作のうち


約四割がドイツ語以外の言語で執筆されているという。たとえば、本書第一章で検討されているように、『トリビ
ューン』記事は、ヘーゲルの歴史哲学とは異なった、中国やインドなどに関する豊かなアジア社会論を提供してお
り、特に「単線的モデル」から離脱しつつあった一八五〇年代後半においては強力な「反植民地主義」的視座がみ
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てとれる。また、アンダーソンのマルクス研究の画期性は、「土地保有権、村落の自治およびジェンダー関係」を
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扱った未刊行のラッフルズ・ノートを題材とした点にある (MEGA第Ⅳ部第一一巻に収録予定)
。このインドネシ

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ア・ノートで形作られた一八五〇年代の「村落共同体」論が、のちの「複線的モデル」によって「資本への抵抗の

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場」として明示的に位置づけられ、最晩年の抜粋ノートにおける「農村共同体」論へと結実すると主張したのは、
アンダーソンが初めてであろう。
 さらに、MECWの意義としてアンダーソンが強調するのは、本書第二章で扱われるマルクスのロシア論である。
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一八世紀ロシア帝国のツァーリズムによる拡張主義を批判した、一連の記事「秘密外交史」は、「おそらくマルク
スの最も反ロシア的作品であり、それは二〇世紀のマルクス主義にとって最大の論争の的となるものでもあった」
が、
「ロシア版、東ドイツ版のマルクスの著作集の両方から排除され、MECW第一五巻の一部として、いくらか
遅れて出版されただけであった」(八八ページ)
。また、従来の編集上の問題点については、本書第二 四章の随所


で、インターナショナル総評議会の演説・宣言文・挨拶文などがマルクス=レーニン主義研究所編『マルクス=エ
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ンゲルス著作集』(MEW)では一部欠落していることが指摘されている。そのことによって、ポーランド問題や
パリ・コミューンなどで生じた、総評議会内部でのアナーキストや労働者中心主義者との対立が、マルクスの「複
線的モデル」とどのように関連しているのか、そのコンテクストが不明瞭になっているという。さらに、アンダー
ソンは、アメリカのマルクス研究者として人種差別的表現に非常に敏感である。本書第三章において、マルクスの
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「Nワード」は、反人種差別的な主張をするために、人種差別的な言葉が用いられている例なのだから、MEGA
の編集方針どおりそのまま記載すべきだと度々指摘している。
 そして、本書で最も注目されるべき第六章では、アンダーソンが
MEGA編集者として参加している第Ⅳ部第二
七巻に収録予定の、非/前資本主義社会に関する膨大な抜粋ノートが考察される。民族学、文化人類学、原古史、
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家族制度史といった現代的にも非常に重要なテーマを扱っている第二七巻は、「インドの歴史と村落文化、オラン
ダの植民地主義とインドネシアの村落経済、ネイティブ ア
・ メリカンや古代ギリシア・ローマ、アイルランドにお
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けるジェンダーと親族関係の諸類型、そしてアルジェリアとラテンアメリカにおける共同体的所有と私的所有」を
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包括している (二九三ページ)
。もっとも、この「一八七九 八二年抜粋ノート」は、ローレンス・クレーダー編

『カール マ
・ ルクスの民族学ノート (邦題:マルクス古代社会ノート)
』(未来社、一九七六年)をはじめ、一九七〇年
代にはMEWにおいても収録されるなど、日本においても多くの民族学者やロシア研究者によって精力的に紹介さ

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れてきた。しかし、これまでの編書は、マルクスの抜粋ノートの約半分しか収録しておらず、残りのテクストは未
だどの言語でも公刊されていない。すなわち、「ロシアの人類学者マキシム・コヴァレフスキーのアメリカ大陸、
インド、アルジェリアの共同体的所有研究、植民地官僚ロバート シ
・ ーウェルの本に基づいたインド史、ドイツの
社会史家カール・ビュッヒャー、ルードヴィヒ・フリードレンデル、ルードヴィヒ・ランゲ、ルドルフ・イェーリ
ングの諸著作、ローマと中世ヨーロッパにおける階級・身分・ジェンダーに関するルドルフ・ゾームの著作、イギ
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リス人法廷弁護士J・W・B・マニーのインドネシア (ジャワ)研究、自然人類学と古生物学に関する新しい著作、
農業国ロシアに関するロシア語の研究、最後に、一八八〇年代のイギリスによるエジプト進出に関するものであ
る」(二九六ページ)
。本書第六章は、MEGAの刊行に先立ってその内容の一部を紹介・検討している。
 さらに本書が優れている点は、アンダーソンがマルクスの「複線的モデル」との関連でこれら抜粋ノートの理論
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的意義を明確化していることである。クレーダーとは異なり、ドゥナエフスカヤは、この「一八七九 八二年抜粋


ノ ー ト 」 が「 新 た な 第 三 世 界 の 誕 生、 全 く 新 し い 女 性 解 放 運 動 の 勃 興 後 に は じ め て 公 刊 さ れ た 」 も の で あ り、
「我々がマルクスの著作を全体として把握できる第一世代」であると述べ、その現代的意義を強調した ( Rosa Lux-
)。アンダーソンは、
emburg, Women’s Liberation, and Marx’s Philosophy of Revolution, Harvester Press, 1982, p. 176.
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このような視座を、抜粋ノートの詳細な解釈にもとづいて、さらに展開しているのである。
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 まず、性差別問題に関連して、ドゥナエフスカヤはエンゲルスの『家族・私的所有・国家の起源』で定式化され

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た階級中心主義的なジェンダー平等論と、マルクスのモーガン評注は明確に区別されなければならないと主張した。

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アンダーソンが本書でモーガン・ノートのみならずメーン・ノートを含めたテクスト解釈によって立証したように、
「モーガンとエンゲルスが、男性支配、階級社会、国家の源泉として氏族社会の解体にのみ焦点を当てているとこ
ろで、マルクスのノートは、そのようなシェーマに反した、よりニュアンスに富む弁証法的アプローチを示してい
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る」(三〇一ページ)
。すなわち、氏族社会の解体以前にも「女性差別」は存在しており、逆に、エンゲルスのいう
「女性の世界史的敗北」以降のローマ社会においてはいくらか女性の立場が改善されていたというのである。本書
は、私的所有に還元されない、こうした性差別の固有性にマルクスが着目していることを浮き彫りにしたが、この
点もまた、これまで存在しなかった新しい議論であると言えよう (マルクスにおける性差別論の系譜についてはアン
ダーソンの問題意識をさらに発展させた、
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Heather Brown, Marx on Gender and the Family: a Critical Study, Haymarket

が詳しい)
Books, Chicago, 2013.
 そして、一九六〇年代以降の「第三世界」論に関しては、フランス語版『資本論』における改訂や、「ザスーリ
チへの手紙」とその諸草稿、
『宣言』ロシア語序文が、「一八七九 八二年抜粋ノート」と密接な関連をもっている。


こうした最晩年のロシア共同体論については、日本のマルクス研究においても平田清明や和田春樹、福富正実らが
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フランス語やロシア語の原典を参照した検討を行ってきた。アンダーソンの解釈は、ロシアの農村共同体が、西欧
の労働者階級の運動と結合し、資本主義的近代の成果を獲得することで「共産主義の近代的形態」へと移行するこ
とができるという立場だが、それとは異なる見解も多数提示されてきたのである。しかし、重要なことは、これま
での先行研究が、資料的限界により「一八七九 八二年の抜粋ノート」をトータルに把握することができず、「ザ
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スーリチの手紙諸草稿」がもつ広範な射程を看過したという点である。アンダーソンが説得的に明らかにしている
ように、最晩年のロシア共同体論は、
「複線的モデル」という観点から、「どのような特殊な仕方で資本と階級の普
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遍化する諸力」が、特殊ロシアのみならず「いまだ資本が十分に浸透していない非西洋社会において」現れてくる
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かを示唆している (三五八ページ)
。このように、晩期マルクスに関する従来の研究は、「資本に対する新しい抵抗
の場」としての共同体論がもつ現代的意義をつかみ損ねたといわざるをえない。
 

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 最後に、本書第五章で検討されているように、ジャーナル記事や未刊行の抜粋ノートといった周縁的な著作が、
『要綱』や『資本論』といった主要著作における経済学批判とどれほど密接に関係しているかを概観しておこう。
この点についても、アンダーソンの議論はドゥナエフスカヤに負うところが大きいのであるが、彼女以上にテクス
トの詳細な読解を提示している点では、
『資本論』研究の蓄積が豊富な日本のマルクス研究にとっても示唆に富ん
でいる。アンダーソンは「複線的モデル」との関連で、「マルクスの思考が『宣言』から『資本論』へと転回する
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につれて、西洋資本主義それ自体の位置が変化した」ことを強調する (二四六ページ)
。この変化は、本書第四章で
論じられたように、
「マルクスは、イングランドの労働者による革命がアイルランドの独立に先行しなければなら
ないだろうという、より近代主義的な初期の立場を否定し、アイルランドの独立をイングランドにおける社会主義
的変革のための前提条件として主張するようになった」ことに最もよく表れている (二七一ページ)
。アンダーソン
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は、
「より根本的な理論レベル」すなわち「資本への抵抗の場」としての共同体論に関して、「『要綱』と『経済学
批判』において、インドのようなアジア社会の歴史は、ヨーロッパ史に依拠して初期に練り上げた発展段階に適合
しない以上、独立に分析される必要がある」とマルクスが主張しているという (同上)
。こうした『資本論』へ至
るマルクスの思考を示すものこそが、
『資本論』第一部における「非西洋社会及び前資本主義社会が副次的に登場
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するサブテクスト (作品中において背後にありながらも、主題につながる重要な伏線をなすもの)
」(同上)にほかなら
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ない。

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 アンダーソンによれば、このサブテクストに登場する「非資本主義社会」は、五つの決定的な場面において、

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「西洋資本主義的近代性の独自性」を浮き彫りにし、それと同時に、この非資本主義社会の存在が資本主義とは異
なるオルタナティヴな社会形態を示唆している。第一に、「商品」章の商品物神を論じた節であり、ここでマルク
スは三つの非資本主義社会の例と、未来のアソシエーション社会に言及し、資本主義的生産関係とは異なる、物象
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化されていないオルタナティヴな社会形態を論じている。第二に、「相対的剰余価値の生産」篇におけるインド村
落共同体への言及は、資本主義社会とは異なる分業システムを例示しており、インドの手工業者が、賃労働者とは
全く異なり、直接的生産過程において「生産手段にたいする自立的な関わり」を保証されていることに着目する。
第三に、
「本源的蓄積」篇においては、封建的生産様式から資本主義的生産様式への移行との関連で、植民地主義
やグローバリゼーションに関する記述が多数見られる。マルクスは、本源的蓄積の理論的枠組みを示した「本源的
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蓄積の秘密」章の結論部において、資本主義的生産様式の典型として「イングランド」をとりあげたが、「ザスー
リチへの手紙」においても強調されているように、フランス語版において「西ヨーロッパの他のすべての国も、同
じ運動を通過する」と改訂することで、分析の対象を明示的に西欧に限定したのである。この改訂は、後にロシア
の雑誌『祖国雑記』への返答において「全哲学的 歴史的理論」を拒絶する際にも強調された。第四に、「資本主
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義的蓄積の一般法則」章の結論部における、イングランド資本主義によるアイルランドの植民地化に関する記述で
ある。とりわけフランス語版では詳細なデータともにアイルランド分析が追記されており、資本主義的農業による
環境破壊についても触れられている。第五に、ドゥナエフスカヤがいち早く指摘していた点だが、一八六七年の序
文と「労働日」章において、
「南北戦争と人種、労働、そして奴隷制についてのより大きな問題」が扱われた (二
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。前者においては、本書第三章でもマルクスの北部支持の理由が反奴隷制にあったと強調されていた
八八ページ)
ように、
「いかにしてアメリカ大陸の先住民の根絶とアフリカ人の奴隷化が初期の資本主義的発展において主要な
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要素をなしていたか」が示されている (三五四ページ)
。さらに、後者においては、アメリカの南北戦争がイングラ
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ンドの労働者階級に大きなインパクトをもたらしたことが記述され、インターナショナルでのマルクス自身の活動
をつうじて、
「労働日」をめぐる長きにわたる闘争が『資本論』のテクスト形成にも影響を与えたとされる。加え
て、合衆国内の労働運動は、黒人労働者の奴隷制・人種差別を廃止することなしには展望がないという劇的な主張

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さえなされていることを指摘している。
  も っ と も、 こ れ ら サ ブ テ ク ス ト へ の 言 及 は、『 資 本 論 』 第 一 部 に 限 定 さ れ て お り、 た と え ば、 ア ン ダ ー ソ ン は
『資本論』第三部第一稿における地代論の理論的および歴史的考察を詳細に検討していないように思われる。日本
MEGA編集委員会全国グループが目下編集中である第Ⅳ部第一八巻は、この『資本論』草稿に対応した、一八六
四年二月から一八七〇年六月までのノートを収録している。第一八巻には、地代論との関連でフルーベク、リービ
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ヒ、フラース、マローンなどの農学および農芸化学に関する諸著作からの抜粋が行われており、本書第四章でも示
唆されているマルクスのエコロジー論を展開する上でも、第三部草稿と抜粋ノートの関連が今後の研究課題であろ
う。さらに、アンダーソンも着目する最晩年の「ザスーリチへの手紙諸草稿」においては、マウラーのマルク共同
体論に基づいて古ゲルマン共同体の三段階区分 (よりアルカイックな共同社会、農業共同体、新しい共同体)が展開さ
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れており、共同体の「アジア的形態」はもはやどの民族も通過する最古の形態とはみなされず、「さまざまなアル
カイックな構成の最新類型」として再規定される。アンダーソンは「複線的モデル」の例証としてアジア的形態や
アジア的生産様式の独自性をしばしば強調するが、その妥当性を検証する上でも、第一八巻に収録された一八六八
年と第二四巻に収録された一八七六年のマウラー抜粋の検討は不可欠であると思われる (平子友長「マルクスのマ

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ウラー研究の射程 MEGA第Ⅳ部門第一八巻におけるマルクスのマウラー抜粋の考察」大谷禎之介・平子友長編『マ
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ルクス抜粋ノートからマルクスを読む』(桜井書店、二〇一三年 )所収を参照。さらに詳しい第Ⅳ部第一八巻の内容紹介に関し

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ても、本書をぜひ一読されたい)

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 以上、見てきたように、本書は、搾取や階級、労働運動を中心とする「伝統的マルクス主義」とは異なり、これ
までほとんど顧みられてこなかった非西欧社会に関するマルクスの分析を、主要著作以外の手紙や記事、抜粋ノー
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トに着目することによって浮き彫りにした記念碑的作品である。アンダーソンは、マルクス自身が、現在のグロー
バル資本主義においても問題となっている、ナショナリズムやエスニシティ、植民地主義を十分に考察していたこ
とをテクストから説得的に例証している。しかしながら、アンダーソンが強調する「階級、人種、エスニシティ、
ジェンダーの弁証法」という表現は、
『要綱』以降確立された物象化論的問題構成からすると、いささかミスリー
ディングであると思われる。アンダーソンが定式化した、資本や階級という抽象的普遍と、人種や性差別という具
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体性・特殊性との「弁証法的総体性」は、物象化論的にはむしろ、資本主義社会における商品や貨幣といった経済
的形態規定とそれに対立する物質代謝 (素材変換)として把握されるべきであろう。ドゥナエフスカヤも指摘する
ように、最晩年にいたるまでマルクスの課題は経済学批判であったのだから、どれほど「一八七九 八二年の抜粋


ノート」がそれと無関係にみえようとも、初期から継続した資本主義分析を放棄したわけでは決してない。しかし、
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マルクスは晩年になるにつれて、経済的形態規定の外部、すなわち「人間と自然との物質代謝」に関わる広大な素
材的領域それ自体にますます関心が移っていったように思われる。とりわけ『資本論』第一部執筆以降のMEGA
第Ⅳ部の収録内容 (植物学、生理学、地質学、土壌学、化学等々)は、マルクスのこうした思考過程をまさに反映し
ているのではないだろうか。したがって、アンダーソンが言及した「一八七九 八二年抜粋ノート」における共同
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体論や性差別論、植民地論も、こうした物質代謝 (素材変換)がもつ固有の論理を把握するための知的営為として
理解される必要があるだろう (マルクスが晩年になるにつれて「素材そのものの力」へ着目したという見解については、
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佐々木隆治『マルクスの物象化論 ─ 。この点に
資本主義批判としての素材の思想』(社会評論社、二〇一一年 )を参照)
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ついては、今後第二七巻や第一八巻をはじめ、一連の抜粋ノートがMEGA第Ⅳ部で刊行されていく予定であり、
主要な経済学著作との関連についてさらに議論が活発化していくことが期待される。また、本書のフランス語訳が
というタイトルで Édition Syllepse
Marx Antipodes 社からまもなく刊行される予定である。日本語、フランス語の

A5判:148×210mm 本文書体:リュウミンR-KL 13Q 行間8H 26W×22L×2C
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刊行を通してマルクスの世界・歴史認識の奥深い射程と豊かな可能性に関する研究と論争がより広くかつ深く展開
されることを訳者一同は願っている。
 本書をとおして、二一世紀のグローバル資本主義においても、マルクスの資本主義批判がいまなお有効であり、
しかも膨大な抜粋ノート研究を含めれば、マルクスの理論の全体像がいまだに解明されていないことに読者は驚か
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れるはずである。その意味で、マルクスの資本主義批判に関する理論とその研究方法は、二一世紀の私たちにとっ
ても実践的に有意義な遺産であり続けている。
 本訳書の分担と翻訳担当者は以下の通りである。
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 謝辞                      斎藤幸平
 日本語版への序文                斎藤幸平
 序文                      平子友長
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 第一章                     隅田聡一郞
訳者解説

 第二章                     明石英人

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 第三章                     斎藤幸平

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周縁のマルクス訳者解説  [出力]2015年2月2日 午後2時41分
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 第四章                     隅田聡一郞
 第五章                     佐々木隆治
 第六章                     隅田聡一郞
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 結論                      佐々木隆治
 補遺                      斎藤幸平
 訳者解説                    平子友長、隅田聡一郞
 訳文の作成に当たっては、まず各分担者が下訳を作成し、ついでその訳文を訳者全員が検討することによって統
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一的な訳文を作り上げることに努めた。最後に、平子が再度訳文全体を校閲し、誤植の訂正、訳語・文体の統一な
どに努めた。その意味で、本訳書の訳文については、翻訳者全員が共同で責任を負うものであるが、しかし最終的
な訳文については平子が個人的責任を負っている。
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